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佐賀地方裁判所 昭和43年(ワ)117号 判決

原告 秀鋭工業株式会社

右代表者代表取締役 秀島鋭二

原告 秀島鋭二

右両名訴訟代理人弁護士 元村和安

被告 江崎グリコ株式会社

右代表者代表取締役 江崎利一

右訴訟代理人弁護士 香田広一

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告ら)

一、被告は被告の佐賀市上多布施町所在九州工場内において地下水をくみあげてはならない。

二、被告は原告秀鋭工業株式会社に対して八〇〇万円、原告秀島鋭二に対して四〇〇万円及びこれらに対する昭和四二年七月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三、仮に第一項掲記の請求が認められないときは、被告は第一項掲記の九州工場において吐出口の断面積二一平方センチメートル以上の揚水機を使用して地下水のくみあげをしてはならない。

四、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告)

主文同旨の判決並びに担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二、当事者の主張

(請求原因事実)

一、原告会社は研削砥石、工業用磁器類の製造販売等を目的とし、原告秀島はその代表取締役である。

二、原告会社は別紙目録(一)記載の土地建物を、原告秀島は同(二)記載の土地建物を各所有し、原告会社はこれらを使用し、約四〇名の従業員を擁して前記事業を営み、年間売上げ約五、〇〇〇万円をあげており、原告秀島は右建物の一部に家族と共に居住しているものである。

三、被告は約二、五〇〇名の従業員を擁して菓子、食糧品の製造販売等を目的とし、年間売上げ約一、八〇〇億円をあげており、工場の一つとして原告ら所有の土地から道路一つへだてた北側の佐賀市多布施町に九州工場を有している。

四、而して被告は右工場内に口径三〇センチメートルの井戸二本を掘削し、その一本一日あたり三、二〇〇ないし三、三〇〇立方メートルの割合で常時地下水をくみあげ、工場用水として使用している。

五、ところが近年原告ら所有の本件土地に後記のような地盤沈下現象がみられるところ、右土地付近には被告以外には大量の地下水をくみあげている者はないので、右地盤沈下は被告の右地下水くみあげに起因することは明らかである。而して原告らは右地盤沈下によりつぎのような被害を受けており、このまま放置するときには地盤沈下はなお継続進行し、且つ被害はますます深刻化することが容易に予測できるところである。

(一) 本件土地が付近の土地に比し低くなったため降雨の度に水びたしになり、且つ排水が悪いため長期間にわたって右状態が継続して工場の操業に支障を来し、且つ不衛生であって原告秀島ら居住者の健康にも悪影響を及ぼしている。

(二) 本件建物の各所はいうに及ばず、電気窯、重油タンクの防油堤等に亀裂が入り、使用が危険又は不可能な状態になっており、また煙突が傾斜して倒壊の危険にさらされている。

而して右被害の回復又は防止のため盛土、建物の改築、設備の改造等の措置をとっても莫大な費用を要するのみでなく、被告が地下水のくみあげを継続する限り数年後には再び同様な被害の発生することは容易に予測されるところである。

六、右のような原告らの被害はその程度、継続性、被害防止の可能性等諸般の事情からみて一般社会通念上受忍すべき限度を超えるものであり、被告は本件地下水のくみあげに起因して本件土地建物を含む周辺の土地建物に対して与える影響、近隣住民の受ける被害等を予見しながら、若しくは少なくともこの点につき専門的調査を行わなかった過失によってこれを予見しないで地下水をくみあげ、しかも原告らにおいて被害の状況を説明して善処方を要請したのにこれに耳を傾けることなく漫然くみあげを継続しているものである。

七、そこで原告らは本件不動産の所有権に対する妨害排除請求権に基いて、被告に対して、第一次的に右工場内での地下水のくみあげの禁止を、仮に全面禁止が認められないときには第二次的に地盤沈下の進行を阻止するため最小限必要な吐出口の断面積二一平方センチメートル以上の揚水機を使用してのくみあげの禁止を求め、右請求と併せて被告に対して、現在まで原告らの受けた損害即ち本件各土地、建物及び電気窯の嵩上げ工事並びにこれに付帯する工事費用、亀裂の入った建物、構築物の復旧工事に要する費用として、原告会社において八〇〇万円、原告秀島において四〇〇万円及びこれらに対する損害発生の日の後である昭和四二年七月一日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払いを求める。

(答弁)

一、請求原因事実一は認める。

二、同二のうち原告秀島がその主張の建物に居住していることは認めるがその余は知らない。

三、同三のうち被告の年間売上高は争うがその余は認める。

四、同四のうち揚水量は争うがその余は認める。

五、同五は争う。仮に原告ら主張のような地盤沈下現象があるとしても、それは被告の地下水揚水ではなく、もともと原告ら所有土地が甚しい軟弱地盤であることに起因するものである。このことは基礎工事の完全な建造物とそうでない建造物間に沈下の度合が異なる事実及び被告が地下水の揚水を始める以前から地盤沈下現象のみられる事実などからみて明らかである。

六、同六のうち被告が現在も地下水のくみあげをしている事実は認めるがその余は争う。もっとも昭和四二年七月ごろ原告側から電話で建物が傾斜したから二〇〇万円の賠償を請求されたこと、その数日後原告側から地盤沈下は被告の地下水くみあげが原因であるとの申出を受けたことのあることは認める。

七、同七は争う。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、原告会社がその主張の土地建物を工場に使用して研削砥石、工業用磁器類の製造販売をしており、その代表者である原告秀島が右建物の一部に家族と共に居住していることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば原告会社が目録(一)記載の、原告秀島が同(二)記載の各土地建物を所有していることが認められる。

一、(一) ≪証拠省略≫を総合すると、近年東京、大阪、新潟等の臨海低地において急速で大規模な地盤沈下現象がみられ、その原因究明が行われ、防止対策が樹立され始めたこと、国土地理院の行う水準点の測量結果によれば、昭和三八年から昭和四〇年までの間に佐賀市一帯においても著しい地盤沈下が進行しつつあることの判明したことが認められ、原告ら所有の土地も佐賀市内の一画に位置する以上、右の例外をなすものではないことが容易に推認されるところである。

(二) 原告らは本件土地付近はもともと低い土地ではなかったのに近年すり鉢の底状に周囲の土地に比して低くなり、降雨の度に水びたしになり、排水状態も悪いため、長期間右のような状態が継続する旨主張するが、右主張に副う≪証拠省略≫は全体的にみて具体性に欠ける上、これを裏付けるに足りる客観的証拠も見当らないので、未だ充分信用することはできず、他に右事実を首肯するに足りる証拠がない。

三、そこで右地盤沈下は被告会社九州工場における地下水のくみあげに基因するものであるかどうかにつき検討する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、原告ら所有の土地を含む佐賀市一帯の地質は地表から数十メートルの深度にわたり、砂層を含む粘土層であること、これらは粒状になった砂又は粘土であって、地表に近いところは別として前記粒状物質の間隙が水で飽和されており、このような場所において井戸を掘削して滞水層と呼ばれる砂層、礫層にあるこのような水(地下水)をくみあげると、その取水口の周囲から水が補給され、これらの部分に脱水現象が起るが、特に粘土層においては脱水によって粘土粒間の間隙がなくなって全体的に圧縮され、(これを圧密現象という。)、また地下水のくみあげによって地下水位が下降し、これに伴って右地下水の浮力によって支えられていた地層が浮力を失って沈下し、以上の諸現象が地表面に急速な、(一年にセンチメートルの単位の)地盤沈下現象を起すものであること、最近行われた調査の結果によれば、佐賀市一帯における地盤沈下現象の著しく進行した時期と、水冷クーラーが普及して地下水が大量にくみあげられた時期が一致することからこれが地盤沈下の原因となったものと指摘されていることが認められる。

(二)  つぎに原告ら所有の土地から道路一つへだてた北側に被告会社九州工場が存在し、被告において右敷地内に直径三〇センチメートルの井戸二本を掘削して地下水をくみあげて工場用水として使用していることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すれば、右井戸は昭和三三年及び昭和四一年に各掘削された深度一五〇メートル以上のもので、合計して一日一、〇〇〇ないし三、〇〇〇立方メートルが揚水されていることが認められる。

(三)  しかしながら前示各証拠によって認められる佐賀市の場合を始めとする東京、大阪等における観測は多数の井戸からの大量の地下水のくみあげに基因する地域一帯の地盤沈下現象にすぎず、掘削した井戸からの地下水のくみあげによる地盤沈下現象が当該井戸に近い程顕著にあらわれるものであることは前記地下水くみあげによる地盤沈下の原理上推測のできないところではないけれども、しかしながら本件の場合も被告の井戸を中心としてすり鉢の底状に沈下している旨の原告らの主張事実を認定できないこと前記のとおりであり、井戸付近の沈下量がどの程度のものがあるか、また影響を受ける範囲がどの程度にまで拡がるものであるかは結局不明といわざるを得ず、弁論の全趣旨に徴すれば前記被告の井戸ほど近くはないとしても原告ら所有土地付近には他にも地下水くみあげのための井戸が多数存在することは容易に推認できるところであって、本件地盤沈下にどの井戸がどの程度の影響を及ぼしているかを推認することができず、結局被告の地下水くみあげが本件地盤沈下の唯一の原因であることはもとより主たる原因であることについてもこれを確認するに足りる証拠がないことに帰する。

四、(一) なお付言すると、≪証拠省略≫を総合すれば、原告ら主張のとおりその所有土地に存在する煉瓦造りの三本の煙突が何れも傾斜していること、煉瓦造りの窯にひずみが生じ、或は全体に傾斜のみられるもののあること、建物の一部に亀裂、壁の脱落等がみられること、土地そのものにも整地上の原因によるものとは思われない凹凸部のみられるところがあること等の事実が認められる。

(二) ≪証拠省略≫によれば、地下水くみあげによる地盤沈下の場合、主として圧密現象の起きる粘土層の厚さが場所によって異ることが原因となって沈下の程度が異る不等沈下が起きることがあり、このような場合その地上の建造物に亀裂等の生ずる可能性のあることが認められるが、しかしながら一方≪証拠省略≫を総合すれば、本件程度の広さの土地(四、一六二平方メートル余)では上記のような粘土層の厚さの一様でないことによって起る不等沈下現象は起る可能性が少ないこと、本件土地の地表から約六メートル位までは標準貫入試験法によるN値(六三・五キログラムの重錘を七五センチメートルの高さから自由落下させて、その衝撃により規定のサンプラーを打ち込むのに必要な打撃数)が零を示す著しく軟弱な粘土層であって、重量のある建造物を支持するだけの地耐力がないこと、本件土地上の建造物には堅牢な基礎工事を施したものとそうでないものとがあり、右基礎工事の違いによって構造物の沈下の程度が異ること、被告が井戸を掘削する前から被告会社佐賀工場の建物に亀裂等の現象がみられたこと等の事実が認められるところである。

(三) 右事実関係からすると前記のような原告ら所有土地上の建造物にみられる亀裂、傾斜の原因が地下水のくみあげによる地盤沈下であること自体その証明がないことに帰する。

五、以上のとおりであるから、原告らの本訴請求はその余の判断をまつまでもなく失当として棄却を免れず、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 諸江田鶴雄 裁判官 坪井俊輔 二神生成)

〈以下省略〉

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